ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

ミャンマー人流!コーヒーの飲み方

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)

チン州駐在の神崎です。

 

 

苦いのは苦手・・・

ミャンマー人のほとんどがブラックコーヒーを飲みません!

 

普段は紅茶に練乳をたっぷり入れた「ラペイェ」を飲んでいます。インドのチャイのような味です。1杯20円程度で、喫茶店にはラペイェを飲みながら何時間もおしゃべりするおじさんがたくさんいます。

 

ダストティーと呼ばれるような、細かい茶葉の紅茶です。それを濃く煮出し、苦さを練乳でごまかすのがミャンマー流。ブラックコーヒーも、ストレートの紅茶も苦手なミャンマー人。苦いのに慣れてないみたいです。

 

練乳の割合には様々なパターンがあり、自分の好みを注文することができます。とにかく甘くて、飲み終わった後のコップの底には溶けきれなかった練乳がたくさん残ります・・・。

 

最近ではインスタント製品も開発され、外国人向けのお土産にも人気です。

 

最近はコーヒーも少しずつ人気に

ミャンマー各地でコーヒー栽培が盛んになってから、国内のスーパーでも様々な種類のコーヒーが売られるようになりました。

 

年間150トン以上のコーヒー豆を販売するミャンマー最大手企業は、販売先の9割がミャンマー国内。ミャンマー人消費者の購入量は年々増加し、今後も需要が拡大する見込みです。

 

一方で、スーパーでの販売価格は茶葉などと比べて高く、低所得層にとってはまだ手の届きにくいものとなっています。

 

コーヒーを並べている写真

ミャンマーのさまざまなコーヒー

 

ライレンピーのコーヒーは、子どものおやつ!?

ところで、ライレンピーでコーヒー栽培が始まったのは1960年頃のことです。1970~1980年には教会の青年グループが主体となって栽培エリアの拡大が試みられました。しかし、正しい栽培技術が分からず、販路も無かったためコーヒーブームは徐々に減速。最後には一部の家庭の庭に数十本残った程度でした。

 

コーヒーの木は放置され、甘いチェリーは子どもたちのおやつ代わりに。結局、飲み物としてコーヒーが広まることはありませんでした。

 

2018年から地球市民の会がコーヒープロジェクトを始めたことで、再びコーヒーに関心を持つ人が増えています。飲み慣れていないので苦手に感じる人がほとんどですが、これから地元の人たちのなかでもコーヒー愛飲者が少しずつ増えていくのではないかと思います。

 

コーヒーチェリーを選別している写真

甘いコーヒーチェリー


 

なぜ「ライレンピー」を選んだのか?

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)

柴田です。

 

私たちがコーヒーを作っているのは「ライレンピー」という場所。とてもとても遠いこの場所で、なぜコーヒーを作ることにしたのかをお話ししたいと思います。このコーヒープロジェクトは、ある男性との出会いから始まりました。

 

 

偶然の出会い

彼の名前はウ・ザベッタン。彼は、ミャンマー全土の福音教会の本部スタッフとして、ヤンゴンで仕事をしていました。

笑顔で写る中年男性2名

ウ・ザベッタン(右)


彼は、日本の栃木県にあるアジア学院で、9か月間の有機農業とリーダーシップの研修を受けました。その後、ミャンマーに戻ってきて、アジア学院のOB/OGミーティングに出席したのです。OB/OGミーティングは、ミャンマーのカヤー州で行われました。コーヒー栽培をしているOBのところに集合したそうです。そのカヤー州での会合の帰り、私がコーヒー栽培でお世話になっていたコーヒー専門家のYさん(日本人)が、彼を連れて私の経営するヤンゴンのお店に来てくれたのです。

 

ウ・ザベッタンの故郷を想う言葉

その時、ウ・ザベッタンが語ってくれた言葉が、ライレンピーの事業の始まりとなりました。

 

「私の町はチン州の山奥にあります。今はヤンゴンで働いていますが、自分は故郷に戻って地域の発展のために尽くしたい。故郷の生活は本当に厳しいものです。家族は子供の学校の関係があるのでヤンゴンに置いていきますが、自分はやります。私がやらなくて、誰がやるのでしょうか。」

 

 

その心意気に押され、すぐにライレンピー視察を決めました。

 

現地を見てしまったら、もう後戻りはできない!

ライレンピーに実際に行ってみると、別記事で書いたようにとーーーーーっても遠く、「これは事業としてやるのは難しいな」というのが実感でした。

 

遠すぎるし、貧しすぎる。村と村が遠すぎるし、人も少なすぎる。

 

そのころは、チン州で支援活動をしている日本の団体はありませんでした。活動の効率が悪すぎるため、どの団体も入ることができなかったのです。NGOの支援ですら大変な環境ですから、ビジネスで入るのなんてもっての外!冷静な頭で考えたら、だれも事業を始めようなんて考えられない場所なのです。

 

しかし、実際に行ってみて、ウ・ザベッタンだけでなく、地域の皆さんの熱が伝わってきました。自分たちの故郷を何とかしたいという熱い思い。そんな強く熱い思いに触れたら、事業をやらないわけにはいかなくなりました。冷静な判断が全くできなくなってしまったのです(笑)。

 

そのような経緯で、私たちはライレンピーで事業をすることになりました。

 

誇りを持てるような地域を作ろう!

私たちが彼らと交わした合言葉は、「貧しいから支援してほしいというのはもうやめよう。『みんな見に来てよ』と誇りをもって言えるような地域を作っていこう!」です。

 

支援団体ですら入るのが大変な地域で、コーヒーを通じたビジネスをやろうとしている私たちの挑戦は、簡単なことではありません。持っているのは、熱い心のみ!だからこそ、たくさんの人たちの応援をいただきながら、なんとかコーヒープロジェクトを成功させたいと思っています。

 

 

チン州、ライレンピーはどんな場所?

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)

柴田です。

 

今日はミャンマー・チン州のライレンピーという場所について紹介します。とにかく遠くてたどり着くのが大変な場所なのです。

 

 

ミャンマーの端の端!

ミャンマー連邦共和国、チン州。1,500mを超える山々がそびえ、中国、インド、バングラデシュと国境を接している地域です。ミャンマーの中でも最も開発が遅れている地域です。でも、豊かな自然と豊かな文化を持ったとても素敵な場所なんですよ。

機織りをする女性

機織りをする女性


チン州の人口は約50万人ですが、なんと57もの民族が暮らしています。1万人も満たない民族がいます。まさに多民族地域!ミャンマー全体で135民族がいると言われていますが、その三分の一を占めています。

 

ライレンピーの位置を示した地図

ほぼインド!のライレンピー

そんなチン州に位置するライレンピー町というのはここです。もはやミャンマーではない・・・(笑)。インド国境が間近にあります。

 

ライレンピー町の標高は1,500m。昼夜の寒暖の差が大きく、コーヒー栽培には適した場所です。

 

山の上に民家が数件

ライレンピーの町の様子(これが、町・・・??)

 

片道3日の道のり

日本からライレンピーまで行こうと思ったら・・・片道3日間かかります。

 

1日目

まず、日本各地からヤンゴン空港まで飛びます。直行便で6時間かかります。その日はだいたい夕方着なのでもう飛べませんから、まずヤンゴンで1泊。

 

2日目

次の日に、ヤンゴンからニャウンウー空港へ、国内線で飛びます。先日、世界遺産に認定されたバガンがあるところです。国内線は1時間10分程度です。

そこから四駆をレンタルして北へ向かいます。ガンゴーという町まで7時間ぐらい、ずーっと車に乗ったままです。そして、ガンゴーで1泊します。


 

3日目

ガンゴーからライレンピーまで、さらに四駆を走らせます。所要時間は10~12時間。もはや、前日のニャウンウー→ガンゴーが近く思えるレベルです。ライレンピーには夕方ごろに着きます。

 

ということで、日本を出発してから3日目の夕方にやっと到着します。毎回毎回行くたびに「今回は着かないのか・・?」と心配になるぐらい時間がかかる(笑)。でもちゃんと着きます。

 

たまに道路工事で通行止めになり、ぼーっと待たされたりもしますが、道中の景色は素晴らしく、自然の偉大さを実感します。

山道

ライレンピーに向かう道中の写真

 

ライレンピーの町紹介

そんな道のりを行き、苦労して到着したライレンピーは本当に素敵なところです。町を一望できる丘に登ると、緩やかな坂道に沿って町が作られていることがよくわかります。

 

1本、2本と少数のコーヒーを植えているところもちらほら・・・。中には100本程度まとめて植えているお宅もあります。

電気、水道、ガスはどれもありません。携帯電話は最近つながりましたが、とても遅くて夜中しかつながりません。

 

不便に思われるかもしれませんが、ゆっくりと流れる時間、夜になると焚火で暖を取りながらのおしゃべり、満天の星空を見ると、何日でも滞在したくなってしまいます。

 

焚火を囲んで話す3名

焚火を囲みながらのおしゃべり