ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

なぜ「ライレンピー」を選んだのか?

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)

柴田です。

 

私たちがコーヒーを作っているのは「ライレンピー」という場所。とてもとても遠いこの場所で、なぜコーヒーを作ることにしたのかをお話ししたいと思います。このコーヒープロジェクトは、ある男性との出会いから始まりました。

 

 

偶然の出会い

彼の名前はウ・ザベッタン。彼は、ミャンマー全土の福音教会の本部スタッフとして、ヤンゴンで仕事をしていました。

笑顔で写る中年男性2名

ウ・ザベッタン(右)


彼は、日本の栃木県にあるアジア学院で、9か月間の有機農業とリーダーシップの研修を受けました。その後、ミャンマーに戻ってきて、アジア学院のOB/OGミーティングに出席したのです。OB/OGミーティングは、ミャンマーのカヤー州で行われました。コーヒー栽培をしているOBのところに集合したそうです。そのカヤー州での会合の帰り、私がコーヒー栽培でお世話になっていたコーヒー専門家のYさん(日本人)が、彼を連れて私の経営するヤンゴンのお店に来てくれたのです。

 

ウ・ザベッタンの故郷を想う言葉

その時、ウ・ザベッタンが語ってくれた言葉が、ライレンピーの事業の始まりとなりました。

 

「私の町はチン州の山奥にあります。今はヤンゴンで働いていますが、自分は故郷に戻って地域の発展のために尽くしたい。故郷の生活は本当に厳しいものです。家族は子供の学校の関係があるのでヤンゴンに置いていきますが、自分はやります。私がやらなくて、誰がやるのでしょうか。」

 

 

その心意気に押され、すぐにライレンピー視察を決めました。

 

現地を見てしまったら、もう後戻りはできない!

ライレンピーに実際に行ってみると、別記事で書いたようにとーーーーーっても遠く、「これは事業としてやるのは難しいな」というのが実感でした。

 

遠すぎるし、貧しすぎる。村と村が遠すぎるし、人も少なすぎる。

 

そのころは、チン州で支援活動をしている日本の団体はありませんでした。活動の効率が悪すぎるため、どの団体も入ることができなかったのです。NGOの支援ですら大変な環境ですから、ビジネスで入るのなんてもっての外!冷静な頭で考えたら、だれも事業を始めようなんて考えられない場所なのです。

 

しかし、実際に行ってみて、ウ・ザベッタンだけでなく、地域の皆さんの熱が伝わってきました。自分たちの故郷を何とかしたいという熱い思い。そんな強く熱い思いに触れたら、事業をやらないわけにはいかなくなりました。冷静な判断が全くできなくなってしまったのです(笑)。

 

そのような経緯で、私たちはライレンピーで事業をすることになりました。

 

誇りを持てるような地域を作ろう!

私たちが彼らと交わした合言葉は、「貧しいから支援してほしいというのはもうやめよう。『みんな見に来てよ』と誇りをもって言えるような地域を作っていこう!」です。

 

支援団体ですら入るのが大変な地域で、コーヒーを通じたビジネスをやろうとしている私たちの挑戦は、簡単なことではありません。持っているのは、熱い心のみ!だからこそ、たくさんの人たちの応援をいただきながら、なんとかコーヒープロジェクトを成功させたいと思っています。